高校生のときのぜんそく

高校生のときのぜんそく

高校生のときのぜんそく、これが今までの私の人生の中で、一番暗い影を落とした時でした。そして、高校生になって目指していたものが音をたてて崩れていった瞬間でもありました。

ちょっと、大げさな言い方になりましたが、高校1年生のその時の私にとっては、本当にそう思っていました。

あれは忘れもしない、高校1年生の体育の授業のときでした。
授業はマラソンで、学校から約2キロほどのところにある公園まで、行って帰ってくる授業でした。

中学3年間は剣道部にいましたので、体力的には自信がありましたし、走ること自体好きでもあったので、楽しく参加することが出来ました。

マラソンといってもタイムは競わず、クラス全員で走るのでとても気楽にスタートを切りました。

そして、全員が公園に到着し、そこで2分間の休憩、その後、学校に向かって走り始めます。

高校生のときのぜんそくの始まりは、正にその2分間の休憩のときに突然きました。あの懐かしい「息苦しさ」、ぜんそく特有の「ぜん鳴」音、はじめはそれほど気にすることもなく、時間になったので学校に向かって走り始めました。

そして、公園から1キロもしないところで、私はしゃがんでいました。

後ろから走ってくる友達からは、「もう限界か!情けないぞ〜!」とヤジが飛んできます。もちろん、返す言葉はありません。というか、声を出すことすら出来ませんでした。

そうです、その時の私の状態は、完全にぜんそくの発作が出ていて、呼吸は息を吸うことは出きても吐くことが出来ず、肺はすでにパンパンになった状態、腹式呼吸をするしかありません。
咳をするたびに頭に血が上ってくる感じで、顔は真っ赤になっていました。

半分歩きながらも、何とか学校にもどってこれました。先生の話もおぼろげに聞きながら授業が終わり教室に戻ります。
とこが、教室は5階にあって、歩いて昇って行かなければなりません。階段の手すりにすがりながら、やっと教室にたどり着きます。

本当であれば、次は待ちに待ったお昼の弁当の時間だったのですが、食べる気すらありません。ただひたすら、ぜんそくの発作が落ち着くまで、動かずにじっとしているしかありませんでした。

これが、私の人生の「第二波のぜんそく」の始まりです。

ここから、高校3年間はぜんそくを直すためにあらゆることをやってみました。
「真光」「断食」「針灸」・・・。今思うと、意地になっていた私がそこにいたと思います。

私が「これをやる!」といえば、母は何も言わずやられてくれました。しかし、やったとしても、完全に治るわけではありません。ぜんそくを治す方法が一つひとつダメになっていって、その度に、私のやりたいことがドンドン遠くなっていき、最後のとどめは、医者から「激しいスポーツはやらないほうがいいです。」と言われてしまいました。

私は、中学のとき剣道をやりながら空手にも興味があって、高校生になったら道場に通って空手の世界選手権に出ることを目指していました。
当然ながら、このぜんそくのおかげで、空手の道場を止めるしかありませんでした。

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